緑の女王 ―リウィアとスイスチャードの物語―

第九章 遺された畝

リウィアがパラティヌスの丘を去ったのは、晩秋のことだった。
葬儀の日、薬草園の畝には秋の陽を浴びた赤や黄金の茎が並び、葉は静かに風に揺れていた。
人々はその姿を「女王の守り葉」と呼び、花ではなく収穫した束を柩の前に捧げた。

彼女の遺志を継ぐ者たちは多くなかった。
宮廷では新たな権力者が台頭し、政策の多くは見直され、食糧に関する優先順位も変わった。
それでも薬草園の一角は護られ、園丁たちは毎年同じ畝を耕し続けた。


第十章 商人たちの策

数十年後、帝国の経済は膨張と収縮を繰り返し、都市の市場も変化していた。
穀物価格が急騰した年、パンを買えない人々が飢えに直面した。
そのとき港町オスティアの商人マルクスは、古い書簡の写しを見つけた。
そこにはリウィアの「すすめ」の文が、かすれた筆致で残されていた。

マルクスは計算した。
乾燥葉と塩漬けを商材として売れば、パン不足の年でも利を得られる。
彼は沿岸都市に契約農場を作り、スイスチャードの栽培を広げた。
しかし、商人の策は常に利と結びつき、葉は「庶民の命綱」であると同時に「高級保存食」へと変わりつつあった。


第十一章 修道院の庭

帝国の末期、戦乱と疫病が続き、都市の人口は減少した。
多くの薬草園は荒れ、知識は散逸していった。
それでも地方の修道院だけは、リウィアの時代から伝わる栽培法と保存法を守り続けていた。

修道士たちは、写本の余白にこう書き残している。
「この葉は夏にも冬にも育ち、病人を癒す。
 神の恵みは、畝の静寂に宿る」

冬の施粥の日、修道院の門前には村人たちの列ができ、鍋の中で煮立つ葉から甘い香りが立ち上った。
幼い子が母に問う。
「なぜ緑は雪の中でも生きてるの?」
母は答える。
「昔、女王様が、この葉は人を守るって教えてくれたんだよ」


第十二章 時代を越える緑

やがて西の帝国は滅び、新しい支配者たちが土地を治めるようになった。
戦火は畑を焼き尽くしたが、村の片隅や修道院の庭には必ず一列のスイスチャードが残った。

中世の市場では「女王の葉」という呼び名は忘れられ、代わりに「耐える葉」と呼ばれた。
疫病の年、飢饉の年、洪水の年――葉は変わらず芽吹き、食卓を支えた。
その味は時とともに土地ごとの料理に取り入れられ、煮込みやパイ、酢漬けとして姿を変えた。


第十三章 静かなる石垣の記憶

数百年後、学者が修道院の古文書を調べていたとき、リウィアの書簡の原本が見つかった。
そこにはこう記されていた。

「健康は、国家の沈黙の石垣である。
 石垣は声を上げぬが、人々の命を守り続ける」

学者はその言葉を論文に載せたが、人々にとってそれは単なる古代の逸話にすぎなかった。
しかし農村では、その石垣は今も畝として存在していた。
種を蒔き、刈り取り、また芽吹く――声なき営みが、千年の時を超えて続いていた。

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