和子は、いつの間にか便のことを毎朝気にする年齢になっていた。六十歳。孫の声や庭の花を見るのは嬉しいけれど、二日に一回しか出ない便通は日常の小さな陰になっていた。胃もたれやお腹の張りが朝の気分を曇らせ、外出前の支度をざわつかせる。病院で相談すれば下剤の処方や食事指導があることは承知している。だが、薬に頼るのには抵抗があり、体がいつの間にかそれを「普通」と受け入れてしまっていた。
ある春の朝、町内の小さな朝市で「美彩堂(びさいどう)」という看板を見つけた。白い軒先に並ぶ野菜たちはどれも色鮮やかで、特に目を引いたのはスイスチャードの束だった。赤や黄色の茎を抱く深い緑の葉が、朝の光の中できらきらと輝いている。「水耕栽培で育てたんです。土がついてないから洗うのも簡単ですよ」と並んでいた若い生産者が笑って言った。和子はその言葉にふと心が動いた。面倒が少ないなら、続けられるかもしれない。
家に戻ると、和子はそのスイスチャードを丁寧に洗い、まずはシンプルにオリーブオイルとにんにくでさっと炒めてみた。火を通すと葉は柔らかくなり、茎はシャキッとした歯ごたえを残す。ほのかな苦みと土の香り、にんにくの香ばしさが合わさって、思った以上に食べやすい。ほんの一口を口に運んだ瞬間、体の内側に小さな安心が広がるような気がした。これなら毎日でも続けられそうだ。
和子は試してみることにした。毎朝の習慣に組み込んでみよう――と。目覚めてすぐ白湯をひと口飲み、キッチンでスイスチャードを一掴み。半分は生のまま小さくちぎってサラダに、半分はオムレツに混ぜたり、味噌汁に入れたりした。無理なく食事に取り入れることが大事だと思ったからだ。強く意識するのではなく、朝のやわらかな日差しの中、日常の一部としてスイスチャードを食べる。最初の数日は変化はなかったが、その食事の積み重ねは確かに和子の生活に静かな秩序をもたらしてくれた。
一週間が過ぎた。ある朝、和子は目覚めると胸が軽かった。トイレに行くと、久しぶりにすっきりした感覚があった。毎朝同じようにというわけではなかったが、二日に一回だったペースが徐々に頻度を増し、気づけば毎朝の習慣になっている日が増えていた。便通が安定すると、食事が楽しくなり、朝の散歩も足取りが軽く感じられる。気分は穏やかで、家事もいつもより手早くこなせる。小さな変化だが、日々は確実に変わっていった。
近所の友人や娘に話すと、最初は驚かれた。高齢になると体のリズムが変わること、食物繊維や水分が大事だという話は誰もが知っているけれど、和子の話は具体的だった。「毎朝少しのスイスチャードを食べてみたら、便通が変わったのよ」と言うと、友人の美智子は「それはいいわね。味はどう?」と笑った。和子はその美味しさについても語った。苦みを和らげるために少しレモンを絞ること、茎は歯ごたえが残るように短時間で火を通すと美味しいこと、味噌やごま油ともよく合うこと。そうした小さな工夫が、続ける鍵になった。
和子は次第に、自分の朝の食卓を楽しむようになった。スイスチャードをサラダにして、軽く煎った胡麻と醤油で和えた日、刻んで納豆に混ぜた日、そして薄切りにしてお粥に添えた日。どれも、以前とは違う朝の静けさをくれた。胃の不快感が減ると眠りも深くなり、午後の目覚めがすっきりする。皮膚の張りが少し戻ったように感じる日もあった。これまで自分が取りがちだった消極的な対処、たとえば過度な我慢や不満が、食事という能動的な行為に置き換わったことで、心の中にも余裕が生まれた。
ある日、和子は美彩堂を訪ね、野菜を作る若い人たちにお礼を言った。「あなたたちの野菜がこんなに助けてくれました」と伝えると、生産者の陽子はにっこり笑って、「続けやすい食べ方を見つけてくださって嬉しいです。土がないから洗うのも楽でしょう?」と返した。和子はうなずきながら、これからも季節ごとの葉物を試してみたいと話した。人とのつながりがまた一つ増えた瞬間だった。
変化は個々人によって違う。和子は自分の体験を大事にしつつも、人に勧めるときには穏やかだった。「私には合ったのよ」と、自分の言葉でしか伝えられないからだ。町内の健康講座では、和子は軽くスイスチャードの調理法を披露した。おばあさんたちが集まり、小さな試食をしては「あら、美味しいわね」と笑い合う。和子はその輪の中心で、静かに誇りを感じていた。
季節が巡り、和子の朝の習慣は日々のなかに根を下ろした。スイスチャードはただの野菜ではなく、朝の儀式の一部になっていた。湯気の上がる茶碗、新聞の端に載った俳句のような短い言葉、そして皿の端で光る緑。和子はその小さな連続性の中に、自分自身を取り戻していった。
物語の終わりに、和子はこう思う。体の調子が戻ることは、若返りの薬のような劇的な出来事ではない。むしろ、毎朝のほんの小さな選択――野菜を少し多めに取ること、温かい水をゆっくり飲むこと、日に当たって歩くこと――が積み重なって、「朝が来る」という確かな喜びを取り戻してくれるのだと。美彩堂のスイスチャードは、その連鎖の最初の一枚になったに過ぎない。だが和子にとっては、それが大きな違いを生んだのだ。
朝の光が窓辺のテーブルに横たわる。和子はいつものようにスイスチャードを手に取り、ゆっくりと噛みしめる。外では小鳥が囀り、遠くの小学校のチャイムがかすかに聞こえる。便通のことを気にしていたあの不安は、今は穏やかな日々の余白になっている。和子は深く息を吸い、また一日を始める。小さな葉っぱが、彼女の日常を取り戻してくれたのだ。

〔この物語は実話を基にして創作されています。〕