貢おばあさんは、皺の深い手で孫の写真を何度も撫でるように見つめながら、小さな台所の窓辺に座っている。外では早咲きの桜が風に揺れ、午後の日差しがゆっくりと畳の縁に落ちていた。八十三歳。二年前、脳梗塞が彼女の暮らしを大きく変えた。言葉の端々に慎重さが残り、右半身の動きはゆっくりになったが、笑うと昔の澄んだ声が戻ることもあった。
病を得てからというもの、生活は医師から処方された薬に強く依存するものになった。便秘もその一つだった。長年の習慣や筋力の低下、そして、脳梗塞の後遺症が重なり、貢おばあさんは日々の排便に悩まされていた。クリーム色の薬の箱は、台所の引き出しにいつも控えめに置かれている。薬を飲むとほっとする—それは日常の小さな安心だった。しかし、薬に頼り続けることへの漠然とした不安も、彼女の胸にはあった。
そんなある日、孫の一人が訪ねてきた。孫は都会で忙しく働く合間に、田舎にある小さな水耕栽培の農園「美彩堂(びさいどう)」のことを思い出し、荷物を抱えてやってきた。藍色の保冷バッグの中には、朝採れの瑞々しいスイスチャードが丁寧に包まれていた。葉の縁は紫がかり、茎はしっかりとしていて、土の匂いこそないが、清々しい緑の匂いがそっと立ち上ってくる。
「おばあちゃん、これ、うちの近くで作ってるんだ。水で育てて農薬は使ってないって」
孫は少し誇らしげに言って、スイスチャードをテーブルに置いた。貢おばあさんはその葉を手に取り、指先で触れてみる。葉は柔らかく温かみがあり、何十年も育ててきた畑の味とはまた違う新鮮さがあった。
その日の夕食は簡単に決まった。貢おばあさんの好物である、ほんの少しのしょうゆと鰹節で和えるお浸しだ。孫は葉をさっと茹で、氷水で締め、手早く絞って小鉢に盛る。茹で上がった葉は鮮やかな緑から深い翡翠色へと変わり、茎の部分はコリッとした歯触りを残している。鰹の香りが立ち、醤油がほんのりと塩気を添える。貢おばあさんは箸で一口、口に運んだ。
「うん、懐かしい味だねえ」
目を細めて、彼女はゆっくりと噛む。噛むたびに口の中に清々しい野菜の甘みが広がった。薬のことや病のことなど、一瞬頭から遠ざかるような味だった。食卓にはやわらかな笑い声が満ちた。孫はしみじみと言う。「おばあちゃん、たまにはこういうの、いいよね。」
その晩、貢おばあさんはいつもどおりに眠りについた。薬は飲まずに過ごした。眠りは深かったわけではないが、長く続く安心感がどことなく彼女を包んでいた。
そして翌朝のことだ。朝日が障子の隙間から差し込み、部屋の畳の匂いがゆっくりと立ち上るころ、トイレから驚いたような、しかし満足げな声が聞こえた。孫が駆け寄ると、貢おばあさんは便座に座ったまま、少しだけ恥ずかしそうに、しかし誇らしげに笑っていた。
「薬を飲まなかったのに、出たよ。びっくりした。」
その言葉に、家族は息をのむように静かになったあと、一斉に喜びの色を見せた。長く続いた「薬でしか出ない」という日々から、一日だけでも解放されたという事実は、彼らにとって希望の小さな光だった。
貢おばあさん自身はその出来事をどう解釈してよいかわからなかった。ただ、胸の中にぽっかりと空いた不安の穴が、少しだけ埋まった気がした。彼女は台所に立ち、昨日の食卓を思い出しては、またスイスチャードを摘むような手つきで空気をかき混ぜた。食べものが体に働きかけることを、改めて実感した瞬間だった。
その後の日々、家族は無邪気にその話を繰り返した。近所の人が耳にすれば「まあ、奇跡ね」と囁くかもしれない。だが貢おばあさんは、奇跡という言葉よりも、もっと穏やかな言葉を選んだ。彼女にとってそれは、小さな「回復の兆し」であり、ひとつの「体の反応」であり、そして何よりも自分の暮らしを取り戻すきっかけのように感じられた。
日常はすぐに戻ってくるわけではなかった。脳梗塞の後遺症は依然として影を落とし、時には疲れやすさもある。だが、あの日の出来事が与えた影響は無視できない。貢おばあさんは、自分の身体に耳を澄ますようになった。朝の散歩は無理のない範囲で続け、食事の内容もほんの少しだけ気にかけるようになった。孫たちも、台所に並べる野菜を選ぶときに、いつもより丁寧に彩りを考えるようになった。
ある日、孫の一人がふと「おばあちゃん、またスイスチャード食べる?」と尋ねた。貢おばあさんは、ゆっくりと微笑み、手を小さく振った。「うん、あれは美味しかった。ありがとうね。」 そして、黙って台所の窓の外を見た。風に揺れる木の梢が、どこか約束ごとのように揺れているのが見えた。
物語はこれで終わらない。貢おばあさんの体調は波があり、良い日もあれば辛い日もある。だがあの「薬を飲まずに出た日」は、家族にとっての灯台のように記憶に残った。誰かが摘んできた一束の野菜が、ただの食材以上の意味を持ち、家族の会話や日々の気遣いを変えたのだ。
月日は流れ、季節が幾度か巡った。美彩堂のスイスチャードは時折、食卓に上がった。そのたびに貢おばあさんは、葉を一枚ずつ指でなで、昔の自分と今の自分を静かに見つめるようだった。そして、孫たちはその姿を見て、何か大切なことを学んだ。病や年齢が人を変えても、人間の生活の中にある小さな喜びや希望が、どれほど価値のあるものかを。
最後に貢おばあさんは、窓辺で零れ落ちる午後の光を受けながら、小さな声でつぶやいた。
「ありがとうね、みんな。毎日がありがたいよ。」
その言葉は、決して大きな奇跡を宣言するものではない。だが彼女の顔に浮かぶ穏やかな笑みとともにある限り、それは充分に豊かな物語だった。誰かが土を触り、誰かが水をやり、誰かが食卓にその恵みを届ける——日々の連鎖が生み出す、小さな奇跡の連なり。貢おばあさんの物語は、そうした日常の尊さを静かに伝える一篇の物語として、家族の記憶の中に深く刻まれていった。

〔実際にあったお話を物語風に作成しています。〕


